中学の授業でニット帽をつくったことがきっかけで、
ふとした時に、ちくちく編み物をしています。
料理と同じで、基本は在るもの、在る糸で。
本を見つつも、アドリブ編みで、思いつきで好き勝手編んでいます。
途中から、なぜか「とんがり三角の鍋つかみ」を定期的につくるようになり。
お友達が気に入ってくれて、ご注文いただいたり。
そんな風に、趣味が気づけば形となり... 人様に喜んでもらえるのは、とても有り難いことだなぁと思います。
今回も、安曇野で重ね煮教室をしている佐保子さんがご注文くださいました。
いつもまとめて頂くので、久しぶりに私も編みました。
施術という一つの「コト」を続けていると、
その中に、全体性が含まれているな、と身体を通して感じます。
どんなお仕事も、役割も、立場も、そうだと思いますが...
一つが部分であり、部分が全体でもあり。
だから、施術を通して(知らぬ間に)培われたさまざまが、
編み物というカタチ在るモノとして、表現されて出てくるのを感じます。
素材や手ざわり、形、使い勝手...
自分の感性や価値観が変化していくとともに、
作品も変化していきます。
良くも悪くも、前には戻れないような、そんな感覚。
カタチないものである施術との対比がまたおもしろく、
感じられることがたくさんあります。
だからやっぱり、
表現はおもしろくて、
やめられない。
「ヒトは、表現するために生きている」
とどこかで聞いた言葉が、
今はしみじみよく分かる気がします。
想いを寄せ、
手足動かして何かをした分だけ、
そのエネルギーは対象にうつり、
分身のように世界が愛おしくなる。
それを続ければ続けるほど、分身は増えていき、
自分の内と外は平和になり、調和していく。
文字にすると、そんな感覚に近いです。
一定のリズムの中にはきっと、全体性がある。
それを感じられる「枠」に、心身共に没頭すると、
ヒトは落ち着くんだと思います。
それがきっと、本来らしいリズムだから。
(編み物教室を自宅にて。
アポロ風 鍋つかみを
一緒に作りました^^)
もちろん、それがたまたま施術だったり、料理だったり、編み物だったり。
型はなんでもいい。
それを通して感じられることがきっと、大切なことなんだと思います。
畑から、繊維ができ。
繊維を拠って、糸ができ。
それを立体にして、纏う。
染めながら、ほどきながら、ずっと使って来たんだろうな。
そんな奥行きも、感じながら。
またお気に入りの子が完成したら、ご紹介していこうと思います^^
(去年itootoさんで機織りした、
カシミヤストール。)
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