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編み物のこころえ.

中学校の家庭科の授業がきっかけで、たびたび編み物をしています。



ちょっぴり珍しい授業がある学校で、

園芸やリトミックの授業があったり(バレエシューズ履いて♪)。

家庭科でもエプロンを作ったり、ときには浴衣も作りました!

懐かしいなぁ...^^


そしてスキー教室用に、とニット帽を授業で作ったのですが、なかなかに楽しくて、今でも冬になると衝動的に編んでしまいます。

(毛モノを触りたくなるのでしょうか...^^)



ミシンの使い方を忘れてしまったので、

鍋つかみや鍋敷きなど...

本来は布でつくるようなものを、毛糸で編んでみよう!と思い。


エコたわしに鍋敷きにコースター、

そしてとんがり三角の、鍋つかみ。



最初は自分用だったり、会う人にプレゼントしたりしていたのですが、

いつからか友人が買ってくれたりして、ますます定期的に編むようになりました^^



編み物を通しても、感じることがたくさんあります。


あまり複雑な模様は編めないですが、

一定のカタチを繰り返し編んでいると、

毛糸と、編み地と、一定になるようにバランスを取りながら編んでいることに気づきます。


毛糸によって太さや質感が変わっていくので、同じ編み図でも常に

「これでいいかな?」と確認しながら、アドリブ入れつつ目標の形になるよう、編んでいきます。


最初は毛糸が変わるたびに苦戦していたのですが、

施術をはじめてから数年後に久しぶりに編んだとき、


「あ、間(あいだ)が編めてる!」


と発見しました。


料理や運転も、おんなじで。

何かひとつのことを、感覚をひらきながら続けていると、

そこで培われたバランス感覚が、生活全てを通して生きてきます。


野菜をみても最初はまったく料理の手は動かなかったし、

運転は1番してはいけない類の人間である(笑)と思っていました。


でも、気づくと...

野菜をみて、料理の画が浮かんで来て、「冷蔵庫と台所とカラダが欲しいもの」のちょうど真ん中をとった、バランスのいい一品が出来上がっていたり。

(もちろん、いつもではないけれど)


アナログな車に乗り続けていたおかげで、

便利な画面に頼ることなく駐車も切り返しも、出来るようになりました。

(歩いているだけで危険、と言われていた私にとっては、奇跡!)



感覚ってことばにできないけれど、

それに近しい表現を繰り返し続けることで、

なんとなくそれっぽいニュアンスになっていくように。


その積み重ねは、すべての道に共通していて、

だからこそ生きていくすべてのこと(家事も育児も仕事も旅も)を心を込めて編んでいくって、とても大切なことなんだなと感じています。


何よりも、そんな風にコツコツ繰り返すことで発生する電気やエネルギーから、

人は手足や身体を通して、生きる活力を得ていると感じています。




最近は、こちらのフラワーオブライフのような、麻の文様のようなブツにハマっています。

“スタークロッシェ”編みというもの。


たくさん糸を使って編み込むので時間は掛かりますが...

模様そのものにもエネルギーがあると感じているので、myブームに乗ってしばらくこの子で小物を編んでみようと思っています。



コツコツ編んで、完成して。

最後に糸を切る瞬間はちょっぴり緊張します。


へその緒を切るような(切ったことないけれど...)、

何とも言いがたい、瞬間。


切ると同時に手元から離れ、完成し、あらたな作品として旅立っていく。

破壊と再生、ちょっぴり寂しさもあるけれど、作品そのものの“生”を信頼して、見送るような気持ちです。




そして先日は、こちらのとんがりさん達を納品させていただきました。

安曇野で重ね煮教室をされている、佐保子さん。ご自宅には可愛いニャンコたちもたくさんいます...!

わたしも今年こそは重ね煮を習いに行こうと計画しています。

いつもありがとうございます^^



長野はまたまた雪降る日々ではありますが、

毛糸の生地に癒やされつつ、くるまれつつ^^


皆さまもあたたかくお過ごしくださいませ。

長くなりましたが、読んで下さりありがとうございました。



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