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切り取る世界 -レンズ越しの視点から-


友人家族が佐久に遊びに来てくれました。



お宿としておすすめしたのは、佐久の農家民宿コトホグ庵さん。

農ある暮らしの中にそのまま、お邪魔させてもらうような... 静かでこじんまり、だけどとびきり豊かな時間を過ごせる素敵なお宿です。


コトホグ庵





私の勝手な好意から、写真を撮りつつご一緒できたら~と顔を出し、2日間一緒にお世話になりました。


写真を撮るのは好きなのですが、機械音痴なので父譲りの一眼レフも、お蔵入りしてました。

でも、たまたま今お手伝いしている農園にカメラに詳しい方がいらっしゃって。

教えてもらうついでに、とても良いレンズを貸してくださいました。



とにかく大きくて、重たい。笑

機械や重たいものが得意ではないわたしは、ひーひー言いながらもカメラ片手に滞在させてもらいました。


ズームが効かないレンズだったので、とても難しい!そして重たい!笑

けれど気がつくと没頭し、お宿の心地よい空間にそのまま浸っているうちに... 自分が風景そのものになったような感覚で撮り続けていました。



素材の鮮度にこだわり、時間をかけて丁寧につくられたお料理。

おとなもこどもも、ゆったりといろんなものを脱いで脱いで、寛いでいる。


翌朝は名残惜しさとともに、こどもたちもゆったり遊びつつ、収穫体験も。


すてきなひとときでした。





森羅万象、すべてが循環しているこの世の中。

朝と夜、楽しいと悲しい、光と影、暑さと寒さ...

さまざまな対比の中、そんなリズムを行ったり来たりしながら、私たちは生きています。



そんな振り子のようにぐるっと循環する、まさに∞のリズムの中...

どんな「枠」で切り取るかで、物事の捉え方も変わっていきます。


「枠」があるからこそ、その中での濃淡も生まれ、うつくしさが切り取られる。

フレーム越しの世界は、そんなことを教えてくれているようでした。






なんとなくの「うつくしい」瞬間に合わせて、時間を刻んでいく。

そうやって身体ごと「ピン」と来た瞬間に、焦点を合わせること。

施術に似ているな、と感じました。


わたしにとっての瞑想は “ 静的 ” なものではなく...

こういった “ 動的 ” なものの、なかに在る。


このカラダでさえ、大きな循環の中では

カメラのレンズのごとく、かろうじて「今」を切り取る個体そのものなのかもしれないな。


大きな枠のカタマリ。

カタマリだからこそ、五感を通して感じることができる、さまざまな体験。

その中の一つを、古の人たちは「うつくしさ」と呼んで来たのかもしれませんね。






畑に繰り出し、陽を浴びてぷりぷりに実る野菜たちを見たとき...

まるで子どもたちのようだな、と感じました。


原本で、ありのまま。 動きたいように、動いている。

それぞれの種があり、色もカタチも、異なるもの。



わたしたちよりも何倍も「土から近い」子どもたち。

彼女・彼らの低い目線からは、この世界はどのように映っているのだろう?

土から浴びる微生物も粒子も、香りも色も、全然ちがうんだろうな。

そんなことを感じながらの、時間でした。





お写真も、元々掲載させて頂く予定はなかったのですが...

わたくし個人のお願いから、了承してくださいました。

本当にありがとうございます。


ますます自分の “ 観る ” 目を養いながら、うつくしさを反射できたらいいな、と思います。


秋もこれから本番ですね。

季節の移ろいが楽しみであること。

そのこと自体が、しあわせなことだなと年を重ねる度、感じます。


ご家族の皆さま、コトホグ庵の皆さま。

素敵な時間をご一緒できてしあわせでした。

ありがとうございました。

また次の季節も、ご一緒できたら嬉しいです^^





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